GD中期(涙目)<WRC>

GD中期(涙目)<WRC>

<WRC>

 インプレッサWRC2003は、フェイスリフトが行われた市販車インプレッサに則って、フロントマスクが一新された。さらにメンバーを改良し、軽量化。ダンパーもこれまでのビルシュタインベースのプロドライブ製から、ザックス勢に変更された。

 このシーズンもドライバーはトミ・マキネンとペター・ソルベルグの2台体制。前半戦は低迷したものの、プロドライブに対するスバルのテコ入れもあり、後半復調し、最終戦の僅差のバトルを制したソルベルグがドライバーズタイトルに輝く。この次世代のチャンピオンを陰で支えたマキネンは「あと2年」の言葉通り、このシーズンでの引退を表明するのであった。

 2004年のインプレッサWRCはスバル側が開発に大きく関わり、フレームから抜本的にマシンを見直したモデルとなった。毎年細かく変わるWRカー規定に合わせて、ボディや外板パーツの材質変換で20kgの軽量化。ラジエターとインタークーラーをV字に寝かせて配置する所謂Vマウントでエンジンの出力アップ。エンジンや駆動系の電子制御も進んだ。今もラリーレプリカとして人気のある縦のフィンが追加されたリアウイングもこのモデルからの採用である。ドライバーは引き続きソルベルグと若きミッコ・ヒルボネンの2クルー。

 この年は、ラリージャパンが初開催された記念すべきシーズンでもある。ホームコースとなった北海道の地を、ソルベルグとインプレッサWRC2004は完璧に走りきって優勝。すべてが上手く進んだイベントとなった。しかし、シリーズチャンピオンはシトロエンのセバスチャン・ローブが獲得。以後9年続くローブの歴史的連続チャンピオン獲得のスタートである。

 2005年はさらにWRカー規定が改変され、全幅がこれまでの1770mmから1800mmまで許されるようになった。これに合わせてインプレッサWRC2005も拡幅。第3戦のメキシコから投入されて、その初舞台で勝利するが、その後はマイナートラブルで苦戦。最終戦のグレートブリテンで優勝するも、それがスバルWRC活動最後の優勝となってしまうとは、このときは誰もが思わなかったであろう。

 また、このシーズンから、スバルはグループAよりもより市販車状態に近いグループNというカテゴリーの車両で競うPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)にも力を入れるようになった。インプレッサ用のグループN用ホモロゲーションパーツを多く開発し、ライバルであるランサーエボリューションに対抗したのである。その結果、この年からPWRC参戦チームが走らせるランサーとインプレッサの割合が逆転し、インプレッサの方が多くなった。

 新井敏弘はこのPWRCに参戦し、母国ラリージャパンでも優勝。2005年度のPWRCチャンピオンとなる。これは日本人初の4輪世界選手権の王者獲得だった。